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夏のインターンシップ、11人のUTの学生に来てもらう

Asatte Pressの夏のインターンシップ申し込みは数週間も前に締め切ったが、それでもなお応募者がある。ちょっと驚きだった。今朝、ウェイティングになっていたITポジションの学生をインタビューして、彼女にも来てもらう事にした。全部で11人。

4LKのオフィスが13人でひしめき合うことになった。昨日、オフィスの鍵を受け取ったついでに、隣や階下のテナントの様子を見てきた。右隣は小さな、私たちよりも小さなスイートに医療関係のソフトウェアの会社が入っているみたいだ。左隣の小部屋は誰もいないようで、鍵がかかったままになっていて、廊下を挟んで前にはPrivateの札がかかっている。それは空き部屋で借り手を探しているのか、本当にただ、誰かが秘密の空間が必要で借りているのか定かではない。

私たちの直ぐ下は、どうもヘッドハンターのオフィスになっているらしい。「なんか、上が騒々しい、気になる」とエネルギーに満ちた若者の足音や、足腰が太目で重くなった私とデイヴのステップに文句を言う人が出てくる場合はこのヘッドハンターたちからだろう。

21日からインターンシップが始まることになっている。

前に決まっている10人のうち(春からの継続者2人)、3人はまだ働くために必要なIDを提出していない。デイヴが先週金曜日にメールを出したが、うんともすんとも言って来ない。
「ファイナルでメールをチェックする余裕もないのかも。21日の初日には”Haaa~i"とやっぱり書類を忘れて、何も聞かなかったみたいな顔をして現れるかも。何と言ってもMillennialだからね」と呆れ顔のデイヴに話した。

今日のインタビューに来たITの学生は黒いパンツスーツで現れ、皮の表紙のノートを抱えてきた。これから直ぐにでも大企業で働いて大丈夫という印象を与えた。
「あなたのように、プログラミングのスキルのある人が大きな会社(Asatte Pressと比較して相対的に大きい会社)でインターンをできないのが不思議だ。ハイテック関係者は年柄年中、働いてくれる人がいないと嘆いている」と彼女に言うと、
「夏のインターンシップのポジションは本当に少ない」と言った。

現在の平均的な大学生の悩みかもしれない。

が、

仲の良い友達の息子さんはMITに行っていて、去年はIBM,今年はモーガンスタンレーでインターンシップをする。場所はニューヨーク。別の友達のお嬢さんはCal Techに行っていて、バイオテックの会社、ジェネンテックからインターンシップに招かれた。おそらく、それらは日本の青田刈りに近く、「卒業したら是非、わが社に !」というようなインターンシップだと思われる。能力の集まるところに、一流企業が群がるのは今も昔も変わらない。

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