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Asatte Pressの新しいオフィス



明日、5月21日から10人の夏のインターンが新しいオフィスに’やってくる。

インターネットのサービスプロバイダーから、サービス開始に一か月かかりますと言われて仰天したり(4、5日の作業だと考えていた)、IKEAのワークテーブルが配達されなかったり、ドラマがいろいろあったが、なんとか最低限のモノが揃った。


訪問者はドアを開けて部屋に入ると、受付嬢の代わりにいきなり社長と会うことになる


或いは、ドアの真正面に座っている副社長(私)と目が合ってしまうかもしれない


3つの部屋(この写真では見えないが、白い棚の右奥にもう一つ部屋がある)には既に10人分のワークテーブルとイス、それに棚が分配されている。が、彼らは自分たちでそれらを組み立てて使うのだとは知らされていない。ふざけるなと怒るか、面白がるか、分からない。

これから徐々に、絵を飾ったり、プラントを置いていくつもりだ。電話は800ナンバーの電話サービスを使う。それぞれの人に当てられた内線番号は個人のケイタイに繋がるようになっている。従って、今までのような電話(Landline)は持たない。ソフトの開発に必要なサーバーも、社内のメールサービスもレンタルオンリー(クラウドソーシング)。サービス料を払うだけだ。インターネットが進んだ分、身軽に通信機能を享受できるようになった。そのインターネットも、一か月も待たずに、注文して二日後に配達された4Gワイアレスモデムを、窓の近くに置くだけ。使用量も驚くほど安かった。眼に見えるラインを独占、占有して喜んでいる会社はあっと言う間に新しい技術に置いてきぼりになってしまう。

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