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2月, 2012の投稿を表示しています

人を雇うのは金魚すくいみたいだ

小さな会社を経営する上で、人を雇うのは大きなコミットメントだ。インターンの働きぶりを見なら、つくづくと感じる。社長のデイヴと副社長の私はそれを今勉強している。 エコノミストや政治家は雇用を大きな問題として扱ってお仕事をしているのだが、実際、雇う立場になると話は簡単だ。そのコミットメントとリスクが大き過ぎれば、結局はオフショア化と契約社員化をするしかないのだな、ということが分かる。極端な話、自分の頭とラップトップ一つあれば、ビジネス(お金儲け)など、平気の平左という人がいても不思議でないことも分かるし、それも現在は可能だ。 しかし、そういうやり方をする人ばかりになると、社会全体にとっては困る。 私などは、人を雇うプロセスは金魚すくいと同じで、最終的にはギャンブルとそう違わないのではないかと思っている。 Asatte Press Vice President's idea of recruitment 第一段階は候補のプール(レジュメ)を見て、良く働きそうかを想像して、候補をピックアップする。実際に会って、インタビューしてみると、レジュメほどでもなくて失望したり、逆に、レジュメでは見ることができなかった人柄の良さが分かって、「何か仕事をこの人のために作ってあげたい」と思ってしまったりもする。決めた後に、「えっ、そんなこと、レジュメでも、インタビューでも分からなかった」という事も出てくる。 大きな会社では、このような「知らなかったこと」も、飲み込む余地はあるのだろうけれど、小さな会社ではそうはいかない。 実際に、プロジェクトを与えて、指示をすると、 自分なりに考えて、その指示以上のことを提案したりする。若いインターンでもこういう人はいる。 運動選手や、アーティストなども同じだが、コーチや先生に、 「次にこうやれ、ここを変えてみたらどうか」と言われても、自分のやり方が正しいと従わずに、かと言って、そのやり方も中途半端だったりする。そういう人が伸びずに、また、疎まれてるのも仕方がない。アメリカの中学や高校スポーツでは、コーチがよく、coach able という言い方をする。天賦のタレントがなくても、コーチの言いつけに従って努力して伸びていく資質だ。 インターンシップの場合には、雇う側、雇われる側、双方が「経験することが大

日本語のマシュケナダは由紀さおりさんと’Pink Martiniだった

Austinのスターバックスで、私の空間感覚を狂わせたのは由紀さおりさんだったことがわかりました。最近、彼女の歌声がグローバル規模で、各地に清いせせらぎのように流れている事を私は知りませんでした。 教えてくださったのは、最近訪れるようになったブログ、「 ある広告人の告白 」の池本孝慈さんで、偶然にも、彼は2月16日の投稿で、由紀さおりさんの事を話されていたのです。 YouTubeで彼女の歌をサーチして、久しぶりに由紀さんの美しい日本語、歌詞のわかる日本の歌に聞き惚れました。残念、うちの子供が小さい時に、彼女とお姉さまの安田祥子さんの童謡を聞かせればよかった。そして、続けて、タイガース、高校生の時に大好きだった、もとまろのサルビアの花、チューリップ、オフコース、、、、きりがありませんでした。 どの曲も、日本語がよくわかり、タイガースの花の首飾りなんか、泣けてくるほど懐かしかったです。 そうしているうちに、ハッと思い出して、月光仮面、少年ジェットなどとサーチしてみると、ちゃんと白黒の画面が現れたので、YouTubeに最敬礼したい程でした。これ、インテレクチュアル・プロパティー(IP)が云々、などと、古いテレビ番組のアップロードを文句言う人はいないのでしょうか。その方面の方が誰も気づかないといいのですが。

日本語のマシュケナダが流れるAustinのStarbucks

Austinのショッピングモール、Domainにあるスタバで、レッカー車を待っていた。デイヴの古いAcuraがガレージで動かなくなったのだ。 2月の半ばとは思えない暖かい日で、平日の午前中なのに人々は外のテーブルでのんびりコーヒーを味わっている。デイヴは運よく、コンセントに近いテーブルに着くことができて、早速、ラップトップを広げて仕事を始めた。私は窓辺の席からピープルウォッチングをしていた。よくよく人々を観察してみると、必ずしも、人々はこのコーヒーショップにくつろぐために来ているのではないようだった。 赤いTシャツの男の人(20代後半?)は、ラップトップをテーブルに置いて、何枚ものプリントされた紙を広げて、それを見ながら電話をしている。ここでジョブハンティングをしているのかしらん、自分のアパートでコンピューターの画面を見ているよりはスタバの方がずっと明るい。或いは、Timothy Ferrissに倣って、ラップトップ一台を持って、旅をしながら一週間のうちの4時間をこのスタバでコーヒーを飲みながらビジネスにあてているのかもしれない。 読んでいた雑誌に人々をスケッチする マシュケナダのメロディーが店内に流れた。ふむ。日本語の歌詞だ。 オーワリヤーヨー バオバオバ 、、 、、 悲しい時にはこの サンバを歌うの 切なくふるえるサンバ 、、、 、、、 と聞いているうちに、自分がどこにいるかわからなくなった。 ガラス越しに目の前に座る、スキンヘッドにサングラスの男の人を観察する。手を広げ、髪を短く刈り込んだ、一緒にいる男の人に一生懸命話している。「資金は十分じゃないけど、絶対いけると思うんだ、話に乗ってほしい」とか。勝手に想像する。 ただコーヒーを飲む、コーヒーを飲みながら人と会う、コーヒーを飲みながら何かを読む、と世界中の人々が同じ行動を取る。それでも、ウィーンやマインツのカフェでは、人々がビジネスから切り離された時間を過ごしているように見えた。アメリカは24/7働くことが好きな人が集まっているのかもしれない。

航空運賃は魚みたいに時価と考えるべきか

昨日、バルチモア(BWI) - オースティン(AUS) 往復の航空券を買った後、Googleで、air fare algorithmとたたいてみた。  航空運賃を決めるのは、最早人間にはあまりに複雑過ぎてどうにもならない。コンピューターですらも迷宮で、数えきれないほどの組み合わせをどうしたものかと戸惑いながら(ありえない)計算をしているみたいだ。航空会社は 運賃を恒常的に高くして売ると>お客が少なくなってマーケットが萎む 運賃を恒常的に低くして売ると>航空会社がコストを取り戻せなくて儲けが出ない それに、70年代の自由化によって、年中、航空会社間で価格競争をしている という所で、いつも頭を悩ませている。 昨日、躊躇せずに買った、Southwestのバルチモア(BWI)からオースティン(AUS)の同じ日、同じ便の値段が24時間後には下のように値段が変わっていた。全体に値上がりしていたのだが、帰りの理想的なスケジュールの直行便の値段は逆に下がっていた。 BWI - AUS SW493/3971  2:10pm             $257 > $ 262 SW2029 (non-stop) 2:55pm  $286> $291 SW790(1 stop)  3:30pm         $189>  295 AUS -  BWI SW188/1628  6:10am          $196 > $230 SW 361 (non-stop) 10:30  $424 >  $ 336 アメリカン航空のバルチモア・オースティンの往復料金は $1200 >   $1466 に変わっていた。 「コンピューターで計算されていますから、何と言われましても、、、同じ種類の魚でも、昨日と今日では値段が違うように、航空運賃も時価ということで、、、」

航空券を買うのは宝くじを買うのと同じ?

値段が高くて、繰り返し同じアクションが為されるサービスはコンピューターに置き換えられる。えーと、えーと、と迷うものではなくて、Yes>No>Yes>Yes と感情抜きで取捨選択していけるものはコンピューターが最も得意とするところだ。航空券の手配などはその典型的なものだ。 随分前、私は航空会社で働いていた。東京はTYO ,ロスアンゼルスはLAX,のように世界中の空港や都市のコードを覚え、ワシントンDC 地域には空港が三つあることも知っておかなければならなかった。また、海外旅行一般の情報を頭の中に仕入んでおいて、それをお客様に提供するのが重要な仕事だった。その頃、個人で東京とヨーロッパを往復する値段で、ちょっとした車が一台買えたように思う。今は冬のヨーロッパディスカウント航空運賃では、車のハンドルくらいしか買えないのではないだろうか。 時が経って、私がかって、一生懸命獲得した、そのスキルは、電話の交換手、バスガイド、タイピスト、植字工などのスキルと一緒のファイルボックスにしまわれてしまった。そう思うのは、私自身が旅行のことを調べる時にはインターネットは使っても、旅行代理店や航空会社に電話で問い合わせをすることは殆どしないからだ。 今回、春休みでUSNA(US Naval Academy)、アナポリスにいる一番下の息子が帰ってくるので、航空券を探した。いつも思うのだけれど、安い航空券は金鉱堀に出かけるか、カジノで「ビンゴ!」の瞬間を待つようなものだ。 まず、KAYAKでバルチモア発 3 / 9日  オースティン行き。 3/18日 オースティン発バルチモア行きの往復で調べた。 最低料金は $856のUS Airwaysだった。 マイルのメンバーになっているアメリカン航空は 約1200ドルだった。 両方とも乗継便だ。 そこで、KAYAKにはリストされない、テキサスのSouthwestのウェブで見てみたら、一番安い航空券は往復で税金込、384.20ドルになっている。即、予約・支払を済ませた。 アトランタにネットワークを増やしたSouthwestは、今までバルチモア・オースティンの直行だった便をアトランタで停めて、お客を拾っている。いつもいつも彼が家から学校に帰る時には早起きして、朝6時の直行便を使っていた。今度は、それをアトランタ

アメリカの永住権(グリーンカード)が買えるという話

オースティンに住んでいる日本人の友達がグリーンカードを申請して随分月日が経つ。いまだに、申請が許可されたとは聞いていないので、どうなっただろう。 最近、「100万ドルあればグリーンカードが買える」という話を聞いた。交換レートの関係で、「日本に住む方々には耳よりなお話、8000万円もあれば買えますよ」という事になる。幾らお安くした(なった)と言われても、彼女だって8000万円もへそくりはしていないだろう。 一体、どういうことなのか、USCIS(移民局)のウェブサイトを調べてみた。確かにあるある。上と並みのクラスがあって、並みは50万ドルだから、4000万円程度で買えるじゃないか。しかし、スタバのギフトカードのように移民局の棚にカードが並べられていて、「私、100万ドルの上の方をお願いします」という風に簡単な話ではなく、大変なプロセスがありそうだ。 このプログラムはEB-5 Visaというもので、アメリカの疲弊した地域産業おこしのプログラムだ。もちろん、政府のことだから、このケースは直ぐグリーンカードが手に入ります、このケースは初めから相手にされません、などとはどこにも書いていない。 100万ドル以上の投資をして、少なくとも10人のフルタイムの雇用を提供することが最低必要になる。 それができなくても、間接的に最低10人の雇用を創出することでもよいらしい。 デトロイトの荒れ果てた地区に出かけて、閉鎖された工場を買い取り、そこを配送センターにして、10人の正社員を雇う。あるいは、ウェストバージニアの炭鉱しかないような所で、新しくヘアケアーのラボをオープンして10人のフルタイムの社員を雇うと言ったら喜んでグリーンカードを出してもらえるのかな、と想像してみる。 アリゾナとか、カリフォルニアの地価が暴落して、放置されている地域の家を5軒くらい買ったらどうだろうか。不動産業が立ち上がらない限り、なかなか経済を立て直すのが難しいのだから、直接雇用はできなくとも、家を買うには不動産屋に行かなくてはならない>不動産屋のパートタイムの職員が正社員に格上げできるかもしれない>放置されていた家が売れれば、それがきっかけになって、その隣の家も売れる可能性が出てくる>大工さんを雇う>大工さんが建築工具を買う>>という風に「風が吹けば桶屋が儲かる」理論で、10人くらいは何とかいけ

会社の名前とロゴ(ブランドイメージ)を決める

去年の今頃、「会社の名前を決めて、ロゴを作れ」と、社長となる人(デイヴ)が私に命令した。その時はまだ、IBMに席を置いていて、IP(Intellectual Property 知的財産)の行商をしていた。 「はーい」と元気よく答えたものの、どこからスタートしたらよいものか。それに、一体、何を売るのか、何をしたいのかもはっきりしていない。2月8日のブログに、レストランをビジネスにするのは他の人にお任せした、と言ったけれども、フランチャイズEXPOに行く前には、密かにカフェを開きたい、ドイツのマインツにある店内に本の置かれたBook Cafeに似せたものをやりたいとも思っていたのだ。 Austin Book Cafeを想定してロゴを考えていた Starbucksの他には行くところがなくて、どこのStarbucksもラップトップを持ち込んでいる人で満杯。そこで、Northwest Book Cafeとか、Austin Book Cafeなどと名前をつけてロゴも考えたりしていた。 有名企業のロゴを調べてみた フランチャイズEXPOの後、Austin Book Cafeの夢はあっさり諦めた。そして、どのようなビジネス内容になっても通じる会社の名前を考え始めた。明るい響きとリズムのある音で、Austin, Texas, Americaと言った、地域を強く思い起こすことのない、名前を考え始めた。 取りあえず、有名企業のロゴを拾い出して、色とシンボル、フォントを見てみた。面白いことに、赤と黄色の組み合わせは80年、90年代に作られたロゴが多く、2000年代になると、水色、青系が多かった。IBMは1972年から今のブルーのロゴを使っている。 次に、英語、ラテン語、日本語辞書に目を通した。日本語辞書から一つずつ言葉を拾いながら、発音してみて、「あさって」という音が気に入った。今日も明日もダメでも、明後日には何とかなるだろう、という楽観性も性格的に合って、A better day after tomorrowのフレーズと共にAsatteで行こうと決めた。デイヴは当初Asateがいいと言った。英語を母語とする人には、Asateの方が自然なのかもしれない。 あさって、Asatteのスケッチ ゆく

副社長は福利厚生・幸福環境作りを担当をする

Asatte Press Vice President 夫と二人で三回目の起業をして、名刺を作り、人に「それって、どういうビジネスなの?」と聞かれて、計画や方針を説明しても、まだ、頭の隅で「これでいいのかな」と自問自答している。 外からの力で、ぬくぬくとした家から根っこを引き抜かれて、違った場所で、おっかない人に 「しっかり働きなさい」 と言われれば、反射的に 「はい、しっかり働きます」 と、鉢巻をしめた気持ちになるのだろうが、今の所はリビングルーム兼書斎の机が仕事場で、環境の変化はゼロ。おっかない人もいない。 「ビジネスって言ったって、まだ、収入もないんでしょ、バックに投資家がいるわけでもないし、それじゃあ、趣味でお仕事しているようなもんじゃない」 と言われても仕方がない。でも、社長のデイヴは、私がちまちまと 「売るもんがない、お金が入ってこない」 と嘆いているのと違い、ずっと先を見ている。会社というものを人・モノ・お金を動かすシステムと捉えていて、そのシステム(ソフト)が如何に巧みに構築されているかが大事だと説く。 今はその基盤を整えることが最優先事項だとも言う。別に、工場を作って、重い大きなモノを作って売ろうとしているわけではないので、彼が得意とするソフトウェア開発と似たような扱い方をしているのだろう。 私は、ずっと前に子供が通った学校のファンドレイザーでやった、焼きそばの屋台をやるのと似たり寄ったりで、「材料を買ってきて、パッと作って、大声で売ればいいんじゃない」というメンタリティーでいた、反省。でも、屋台じゃなくて、もっと大規模で洗練されてはいるけれども、基本は同じ屋台ビジネスをしている方々も沢山いるんですよね。 彼が2011年4月にIBMを辞めてから、二人でワシントンDCのフランチャイズEXPO,フランクフルトの書籍見本市、デンバーのACTFL(アメリカ外国語教師協議会?)のコンベンションなどに出向いて、このビジネスは私たちに向いている、これはアカン、と見て回った。 食べるの好きだし、飲むのも好きだからレストランを開こうとは思ってはいなかった。でも少しだけ、フランチャイズでオーナーになったらどうかしら、という気持ちがなかったわけではない。そして、フランチャイズEXPOに行ってみて、レストランにはこれからもお客として行くけれども、

副社長に新しいデスクトップ・コンピューターが与えられた

Asatte Press Vice President's New Computer  5年も前のコンピューターは、今では化石のように古い部類に属するらしい。まだ使えるからいい、と抵抗していた私に、デイヴは新しいデスクトップを買ってくれた、何と言っても私は主婦から会社(たった二人だけ)の副社長に去年昇格したのだから。 コンピューターはテレビの画面のようなモニターがいいか、悪いかが問題ではなく、中身(ソフト)がうまく作動するかが問題なのだ、と恐竜の頭のような私に説明した。私は感じなかったのだが、「前の古いコンピューターは動きが悪く、いつ倒れるかは時間の問題なのだ、倒れるまで待つことはできないのだ」とも彼は言った。 新しく組み立ててくれたコンピューターは、今までできなかった芸当をする。古いコンピューターは、毎朝、パワー・オンにしても、知らんふりをして眠り続けて、起こすのが大変だったのだが、新しいものは忠実な家来のように、いつでもパッと起き上がる。エライ! モニターは虎屋の羊羹のように横長で、Wordを使っている時には3ページくらいが一度に見られる。長い紐に縛られて動きの鈍かったマウスも、コードレスになって動きが軽くなった。問題は新しくアップグレードしたソフトに慣れる必要があることだ。Window2007 をせっかく使いこなせていたのに。Adobeのソフト群も、前のモノとは少しずつ違ったところがあって、必ずしも使い勝手が良くなったと言えないのが残念だったり、やたらにLog-Inしろと責められるのが嫌だ。ちゃんとお金を払って買っているのだから、ほっといて下さい。 5年前、10年前と比べると、コンピューターの箱モノは確実に値段が下がっている。虎屋の羊羹モニター(SAMSUNG)は、1999年に東京で買ったSharpの液晶モニターの3分の1くらいの値段じゃないのかな。初めて見た薄型のモニターをデイヴは買いたがって、ケチな私は「2,3年の東京勤務なのだからコロコロのでかい安いモノでいい」と主張したのだが、結局、私が折れた。メモリーもギガだか、テラだか、巨大メモリーがとんでもなく安くなっているらしい。ソフトだけはそうはいかない。ソフト製作会社はバージョンアップして、値段を上げて、もう殆ど押し売りのように消費者に変えることを要求してくる。それを使うと、

海外で子供ができると日本語に夢中になる

桃太郎とEdward LearのNonsense Verseが隣り合う  海外で暮らし始めて子供がいない時には、新しい場所、私の場合はカリフォルニアのパロアルトでしたが、自転車を乗り回して町を探検したり、コミュニティーカレッジに行って、何でも見てやれ、経験してやれと意気込んでいました。 それが、子供ができた途端に、子供に日本を教えることが何事にも増して 重要なお仕事 になりました。これは、義務感を超えて、血の繋がりを絶ちたくないというような、はっきりはしないけれども、深い、必死なものがあったと思います。幸い、デイヴはもともと語学に興味を持っていて、日本語も勉強していましたから、バイリンガルの環境で子供を育てることに乗り気でした。 私が子供に日本語で話しかけ、日本語の本を読み、英語全般はもちろんデイヴが担当しました。おそらく、日本語と他言語/文化の環境で暮らす家族は多かれ少なかれ、私たちのような環境で子供を育てているのではないでしょうか。 日本の外に出て異文化の中で暮らすことに積極的だった筈なのに不思議です。二つの文化的価値観が同居する環境で暮らす事が、子供の人格形成上、どのような影響を与えるかは定かではありません。人それぞれ、家族にもよって異なるのでしょうが、知り合いの他の家族を見ても、日本語教育には熱心な家族が多いです。 父親がキューバ系アメリカ人、母親がフランス人の家族では、英語・フランス語・スペイン語を使い分けているようですが、「子供は迷惑顔をしている」と、お母さんは話しておられました。 今はオースティンでも、日本語補習校や公文のサービスなどを利用することもできます。私たちが引っ越してきた90年は、それができずに、私は教材を自分で取り寄せたり、手作りをしていました。 最近、小学生のお子さんを補習校に通わせている友達が、漢字の宿題の中に、 「丸い月」と「円い月」の選択問題を見つけて、親の間で議論が盛り上がりました。子供が、空を平面と見た場合には月は「円」にしか見えないのじゃないかしらと。 私は一人でシコシコと漢字を教えていましたので、そのような面白い観点から教えることはできませんでした。 手作りの漢字カード 漢字練習帳から ボードゲームは英語で 本棚にはHarr

私の生きるモットー「猫も歩けば小判にあたる」

前にも書きましたが、どのような将来が待っているかなど見当もつかずにアメリカに来て、夢中で子供を育てているうちに長い時間が過ぎてしまいました。 ランダムに、私が若かったら、和食調理師や日本酒ソムリエの免状を取る、などとリストしましたが、日本食がブームになったのは、ほんのこの5年やそこいらの出来事(少なくともオースティンでは)、80年代には、考えてもみませんでした。今のアメリカで、ちょっとステキなお仕事につきやすいのではないか、とミーハー的に考えたまでです。ワインのソムリエは掃いて捨てるほどいるでしょうが、本物の日本酒ソムリエは少ないのではないかと。でも、これも、今2012年に考えていることで、5年後には、どうなるか分かりません。 歩き続けて、失敗して、良い人に巡り合って、小さな幸運にに喜んで、その繰り返し。 猫も歩けば小判にあたるかもしれない。動き続けるだけです。