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8月, 2013の投稿を表示しています

テック企業上級職のユニフォーム

"Tuck your shirt in" 「シャツの裾をきちんとズボンに入れなさい」と、東京瀬田のインターナショナルスクールで、長男はいつも叱られていた。グレーのズボン、白いシャツ、ネイビーのブレザー、それに赤いネクタイが制服だったのだが、どういうわけかシャツが、いつもはみ出していた。 所変わって、大成功テック企業の上級職にいる人は誰にも怒られないせいか、シャツの裾をひらひらさせて人前に出ている。一種のファッションというか、上級職制服みたいにも見える。 Apple Craig  Craig Federighi  and Tim Cook tuaw.com Phil Schiller Eddy Cue アップルの上級職制服はジーンズ、シャツの裾をひらひら、それにシルバーグレーの髪の毛 Google Larry Page, Erich Schmidt, Sergey Brin aunitedworld.net 隣村に居を構える大成功者のGoogleのお三方はシャツの裾をきっちりズボンに入れて、しかも、しっかりベルトで締め上げている。アップルではネクタイ"No No No"かもしれないが、Googleでは、それも在り。 Amazon Jeff Bezos socialmediabiz シアトルはカリフォルニアより涼しいというのが理由か、ともかく Jeff Bezos氏はジーンズ、白シャツ、或いは水色のシャツにネイビーのブレザーでいつもまとめている。同じブレザーを着ても、我が家の長男のようにシャツの裾をはみ出させずに、すっきり決めている。 Sony Executives ソニーの幹部職員は黒の背広(スーツというより背広。たぶん上質)に白いシャツ、それにネクタイ。誰が誰かはっきりわからない。サラリーマンの伝統的制服がしっかり受け継がれている。 Taizen Association forbs.com 業界団体の方々に於いては、流石に企業色は表に出ず、黒いスーツ、シャツ、ベルトで締め上げて、ネクタイをしたりしなかったり。 ネクタイ派はNTT Docomo, France Telecom, Sumsun サンネクタイ派はHuawei, Linux

戻って来たインターン

ちょうど2ヶ月前くらいにインターンシップを終えて、フロリダに行ったり、コロラドに行っていたらしいインターンが戻ってきました。 結局、仕事を見つけることができなくて、足りないスキルを親方デイヴに見てもらいながら職探しをするようです。一人で部屋にこもってばかりではどうにもならないと考えたようです(親方の元へ帰れというプレッシャーが周りからあったみたい)

同じ事を50年やり続けられる幸せ

50年も同じ事をやり続けるのはしんどいだろう、と普通は思われるかもしれない。けれども、そうできる人はとても幸せな人で、今は絶滅状態に等しい稀な人種と言えるかもしれない。 Mick Jagger and Keith Richards Now and Then ドイツの雑誌Sternに載っていたミック・ジャガーとキース・リチャーズのミイラみたいな写真を見ていいなあ、と思った。若い時の写真を一緒にPhotoshopでくっつけて見ると、皮膚はひからびて皺だらけでも、ちょっとした首の傾け方などは同じで、本質はちっとも変わっていないだろうと想像できた。 若い時と同じようにぴちぴちのタイツみたいなズボンを今でも穿ける体を保っているのがすごい。同じようにハイテンションでステージを動き回れるのがすごい。ド派手なシャツ、スカーフ、ブリンブリンが似合っていて、目の毒だから止めて欲しいと思わせないのも良い。それより何よりも、ローリングストーンズがやって来ると言えば、世界中のどこに行っても超一流のステージに迎えられるのが凄い。 同じ事をやり続けていると言えば、ベンチャーズはどうしているだろうか。今はグレーか、肌色の頭(=ハゲ)になってしまったオジさんが子供の頃、箒を抱えて、テケテケテケテケテーとエレキギターを弾く真似をした。ベンチャーズはアメリカでは忘れられてしまったようなグループだけれども、日本に毎年巡業に行くような記事を週刊誌で見た事がある。リラックスしたアロハシャツ姿で、前橋文化会館や、何とかグランド温泉ホテルみたいな会場で演奏して、結構楽しそうな写真が載っていた。おそらくローリングストーンズと同世代のミュージシャンだろう。 試しに、Googleでサーチしてみたら、2013年の日本公演のスケジュールが出て来た。やっぱり彼等も続けているんだなあ。 「夏がきた。じゃ、今年も(日本に)行って来るか」という具合に、待っているグレーと肌色の頭のファンに接近して演奏を続けているのではないだろうか。羨ましい生き方だ。

夏のインターンシップが終わる。静かな夏の終わり。

去年の夏と違って今年の夏は技術系のインターンを四人取りました。そのうちの二人は春からの続きで、6月末に一人は学校に行くために、もう一人は予定の次期が来て終わりにしました。 シンガポールからテキサス大学に留学中(去年もシンガポールからの留学生がインターンシップを取っていた)の女子大生は、毎日9時から11時半まで通ってきました。インターンシップが必修になっているわけでもないけれど、自主的にインターンシップをやりたいと申し込んできて、コミュニティーカレッジで取っているクラスが始まるぎりぎりまで会社にいました。Google App Engineのアプリケーションをデザインして、最後にドキュメントを作って出していきました。 明らかに次のステップのための経験というスタンスでした。 もう一人はビジネスとITのダブルメジャーの学生で黙々と朝10時から午後2時まで働いていました。私には、彼の進み具合がどうなっているのか、さっぱりわかりませんでしたが、最終日の今日、やはり、デザインしたアプリケーションのドキュメントを出していきました。 ディブが定期的にミーティングをして、親方のように教えていましたが、先週、デイヴがコンファレンスで留守にしている間に、 「どう、このインターンシップは役に立った? 何か得るものはあった?」と聞いたところ、 「すごく役に立ちました。ビジネスの単位は今のところ十分にあるので、この次はもっとコンピューターのクラスを取ろうと考えています」と言って、高校の時に教わったコンピューターのクラスのことや、お姉さんが会計士になろうとしている事などを話し出しました。 彼はインターンシップの単位に必要な160時間を過ぎても続けました。去年の夏は、お金を払って学生たちに働いてもらいましたが、お金を貰ったからと言って、必ずしもよく働くとは限らないと知りました。意外なことに、インターンシップをお金ではなく、単位のためにする学生の方が真剣だとわかって驚きました。 学生の数が少ないこともあって、パーティーをするような雰囲気ではありませんでした。二人の学生は毎日、私たちが用意したコーヒーとグラノラバーを静かーに食べていました。

若い女の子が(50歳プラスの男になって)ブログを書いてあげます、と売り込んできた

 を2年前に辞めて、自分の会社を立ち上げたデイヴは、そのことを 「崖から飛び降りる行為」、と言って、 Stepping off the Cliff   というブログを始めました。 ブログをサーチしていて、行き当たったか、キーワードサーチをしたのか、とにかく、女性の名前で会社のメイルアドレスに、早く言えば売り込みのメールが送られてきました。丁寧ながらも、積極的に、  I assure you that it will be an absolutely unique and relevant content so that it proves useful for your readers.  と、「あなたの読者の役に立つコンテンツ」を書いてあげますと申し出てきました。これは二つの点で興味深かったです。 ブログは自分の意見を言ったり、できごと、感じたことを日記風に残しておく自分のものです(でした)。その個人的なことを、昨今はアウトソーシングして、人に書かせている人がいるのですね。上手な書き手であれば、男女、年齢、職業などに拘らず、誰にでも成り代わって、その人が言いそうなこと、言いたいを書けるのでしょう。 twitterや、Linkedinの情報から彼女が若い人であることがわかりました。(写真からは20代後半か30歳代に見える) デイヴは「あれは個人的なブログ、言ってみれば私の日記です(日記ほど頻繁に書かれていなくて、月記の方があたっているかもしれない)。50歳プラスの男の視点で書かれています。twitterのハンドルネームからすると、あなたは50男じゃありません(=あなたには書けない)」と直球を投げ返して、 続けて、「もし、書きたければ、他にもデートやダイエットのブログがありますよ」と返事をしました。 彼女は返事をしてこないでしょう。おそらく、手当たり次第にブログを見つけてはメールを送っているのだと想像します、もちろん報酬を期待しながら。 Linkedinのプロファイルには法律の修士、それもアイビーリーグの学位が、学歴欄に書かれています。びっくり。そんな人が何故、オヤジのブログを書きたいのだろう?  調べてみたら、この学位は一年間で取れることになっているけれども、なんと学費と生活費で8万ドルプラスがかかるのです。学位は取ったものの、適

引っ越し荷物の中にWilliam Crawford (“Bill”) Eddy の手紙を発見。1978年12月の日付。

オフィスに飾った戯画の作者 Bill  Eddy   を何気なくGoogleしてみてびっくり。黙々と漫画を描いているだけの人ではなかったのです。   実にカラフルな経歴を持った人で、William C, Eddy ( 1902 - 1989) A   20th Century Renaissance Man" とWikipediaでは説明していました。"Renaissance man"という言い方をすると、単に「頭が良い」というだけではなく、 ダビンチのように、理工学系、芸術、教養にも優れている 、知のオールマイティーと言った感じです。事実、彼はダビンチのように様々な発明をしたということです。 知らなかったのは彼はUnited States Naval Academy (米国海軍大学)を1926年に卒業した海軍将校で、我が家の末っ子の大先輩だったのです。 Bill Eddy この写真に見える指輪は、おそらく、その年1926年の卒業生だけが持つ、クラスリングで、Bill Eddyはその紋章をデザインしたということです。そして、潜水艦員が付ける徽章は、この彼のデザインを基にしていると言われているようです。もともと耳が悪かった彼は「学校にいる間は読唇術を使って、聴力不足を疑われることもなかったけれども、実際、艦船に乗ると、音が正常に聞こえる事を前提に敵船の位置を測る仕事が与えられて、うまく行かなかった」と後に手紙に書いていました。 しかし、素晴らしいのは、その「出来事、ハンディ」を忘れずに、音を視覚化できる機器を発明し、また、潜水乗組員をトレーニングするシステムを作り上げた教育家でもあり、その他、退役後にテレビ放送技術にも貢献と広い分野で活躍したというから、ルネサンスマンと呼ばれるに値すると思えます。例のHoneywellのカレンダーにする絵は様々な活動の合間に描かれたようです。 これ等の経歴を前のブログポストの続きに書いて終わりにするつもりでいました。ところが、たまたま、今日の午後、引っ越し荷物を開けていると、箱の一つから二冊の彼の本が出てきました。 前の家の本棚に、これらの本があることは覚えています。が、開けてみた事はありません。そう、その頃ははっきり言って興味もありませんでしたし。何と言っても趣味が違

William Crawford (“Bill”) Eddy の絵をオフィスに飾る - 絵の裏から歴史が現れた

義父Jim ( 1930-2010) がBill Eddyの戯画を好んでいたことは知っていました。 Cartoons by William Crawford ("Bill") Eddy  エンジニアだった彼の書斎の壁には私が知る限りずっとこの額に収められた戯画が飾られていました。サンタバーバラ、アタスカデロ、そして終の棲家となったワシントン州のスクイムと引っ越す度に運ばれて大切に飾られていました。 彼が亡くなった後は、エンジニアのデイヴがこれらの絵を引き継いで、私たちの前の家の壁を賑わせていました。必ずしも私の趣味ではなかったけれども、義父の思い出として飾るのに反対はありませんでした。そして、この春に家を売る時には、貸し倉庫に運んで保管しておきました。 デイヴがUML, SysML, システムエンジニアリング、システムモデリング、複合システム等に焦点を絞ってビジネス展開をすると決めた時に、Bill Eddyの絵でオフィスを飾るのがぴったりしていると思いました。右下の「コンピューター安売り」では、1960年当時のコンピューターがいかに大きな「ハコ」であったかが分かって興味深いし、それと同時に「延長コードを売って儲けを出す」というシニカルな説明も、今風で笑えます。 4枚の額はデイヴの机のまん前に飾りました。その一枚の裏に、義父がProvenance と題した絵の来歴を貼り付けていたのは昨日まで、知りませんでした。 In 1950 the United States was in the final stages of emerging from World Was II. で始まって .... .... When I was a student MIT had no female students and when we were invited to an all girls' school for a dance the affair was invariably declared a failure. It is in this society that Bill Eddy did his famous Honeywell cartoons.

新しい本、Software Modelingのプロジェクトに着手  

去年は男性ファッションとソーシャルライフをソフト開発者の目で分析して本を書きました。第二弾のために、マティーニのグラスやシェーカーを棚にしまって、今度はSoftware Modelingの本のプロジェクトに着手しました。 オフィスの壁は チャートだらけのポスターで飾られて、去年、社長のすぐ傍に張られていたワインとチーズのポスター、ふざけたビールのポスターは作業室の壁に移動しました。

会社を育てるという気持ち

私は還暦を過ぎているのだけれど、毎日オフィスに出て働いています。たいてい9時半頃から6時頃までオフィスにいて、グラフィックをやったり、インターンの面倒をみたり、福利厚生・庶務一般、何でもやります。また、マーケティングのための情報サーチをしたりもします。 朝起きると、ベランダに出てヨガをやり、朝ごはんを食べてお弁当を3人分作り(1人は同居しているバイト学生の長男のため)オフィスへ。毎日が、その繰り返しです。 1年前には知らなかったCloud Computing, Source Control Integration, Cloud Storage等々、小規模のビジネスをやるにあたって必要な事を学び、また、Photoshopで、新しいトリックを使って、試したりすることが、遊びに出るより嬉しいし、やるべき事が見えてきたことが何より嬉しいのです。 会社を育てるのは悩んだり迷ったりすることばかりですが、子供を育てるのと同じです。「何が起きても、ちっとも苦にならないし、少しの進歩が飛び上がるほどの喜びを与えてくれる」と、今は朗らかに言えます。