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1月, 2015の投稿を表示しています

Game changer ゲームチェンジャーって?

Game changer Game changer(ゲームチェンジャー)という言葉があっちこっちの経済誌や本で見られる。ごちごちに固まっちゃった業界に自分のルールを持ち込む人たちだ。23歳の息子も職場の自分の部屋にこれを「合言葉」として掲げている。 多くが既得権という蜘蛛の糸に巻き取られているか、早いもの勝ちで、後発者が入りにくいところに頭脳筋で入って行く人たち。 思えば電話会社はその昔、 Google + Facebook だった。大手電話会社の研究所には優秀な人が集まり、おもしろい事をしていた。5センチくらいもある、電話帳を各家庭に配り、宣伝費を集めて、大変儲けていた。「電話番号をお調べするサービス」にお金を取っていた。そういうものは消えて亡くなった。モバイルとインターネット電話でランドラインは益々やせて行くみたいだ。 タクシー業界もUBERに戦々恐々としている。しかし、あっという間にそのシステムが真似をされているみたいだ。こうなると、ゲームチェンジャーもよほど大きな財布を持っていて、早いもの勝ちのルールを確立して、IPの矛と盾で守らない限りゲームを続けられない。やれやれ,大変だ。今迄そういうものだ、と思い込んでいた所に「新しいルールでゲームをやるからな」と切り込んで、回りも「目からウロコ」と言いながら、そのルールを真似て、「今迄そういうものだ」を楽しんでいた人たちは、新しいプレイヤーに取り残されて行く。 よっぽど体力と闘争ホルモン、野獣スピリッツ、それにあたり前だけど頭脳筋に恵まれていないと、ゲームチェンジャーにはなれないだろう。 シンガポールの地下鉄に乗っていて、沢山の行儀のいい若者がスマホを擦っているのを目にした。シンガポールには罰金が多い。車内で飲み食いするだけで罰金が課せられる。駅の構内には、「ビデオで見張っていますからね」というポスターが貼ってあった。 よく知られた通り、どこに行っても綺麗で気持ちがいい。ちょっとしたコソ泥や、他人の財産を傷つけただけでも ラタンの杖のようなもので打たれる(caning)。と、いうわけで、人々が大人しい(礼儀正しい、親切、友好的とは違う)ように思えた。こういう若者たちの間から、既存のシステムを壊して何か新しいモノやサービスを作り出そうという人が出てくるのだろうか。 息子が小学生の時

映画 BirdmanとChefに見るTwitter、Youtubeの使われ方。世代感

BirdmanとChefの2本の映画を立て続けに観た。ストーリーとセッティングは異なるけれども、父親の第二のキャリア展開の挑戦、葛藤、それに新境地を打ち立てて行くところでは共通性があった。また、家族との関係、パッションはあるけれども、不器用な父親をソーシャルメディアを使って子供が助けて行く点も、面白いほど似通っていた。 Birdman Chef 若い頃はノリノリで仕事をしてバードマンにもなった(主演のマイケル・キートンはバットマンを演じたことがある)リーガン。大衆に愛されるスター性は年と共に失われ、忘れられていく。一方、シェフの方は自分の作りたいモノではなく、大衆(客)が好むモノしか作らせてもらえない。そのフラストレーションが爆発してレストランのオーナーから首を切られてしまう。 両方の映画で演劇批評家と落ちぶれ映画スター、フード批評家とシェフを対戦させていた。今のソーシャルメディアの世界では批評家、キューレーター、トレンドセッターたちが勝手に批評して、それが拡散して行く。批評される側はそれに殆ど対抗できない。超ネガティブな批評に対してはリスクマネージメントで対策を抗じるくらいのものだろう。シェフはTwitterの使い方をよく分からないままツイートして、息子に注意されていた。 レストランオーナー(ダスティン・ホフマン)から「お前はクリエーティブなシェフなんてエゴを出さずに、売れるいつものやつを作ればいいんだ」と言われ、批評家からは「若い頃は前線を走って唸らせるようなメニューを出していたのに、この頃は、、、」と批判されて、このシェフはぶち切れるのだが、その一部始終がビデオに撮られて、ソーシャルメディアで拡散され、知られる人となる。(とっても可愛い少年の)息子がそのソーシャルメディア上の人気を次のフードトレーラーの宣伝に使って行く。 一方、Birdmanの方のニューヨークの演劇批評家は「見る前」から、新聞でこてんぱんにやっつけようと思っている。ハリウッドでちゃらちゃらやっていた映画スターが舞台で再出発しようなんて甘いのよ」という理由だ。長年やってきた真の演劇人が、あんたみたいな軽い人と一緒にされちゃ可哀想よ、という所だ。リーガンの「格好悪い、最早、飾る事もできない切羽詰まった姿」が、やっぱりソーシャルメディアで拡散する。 怒り、喜び、

Global Entry Cardのインタビュー。年を取ると指紋の読み取りが難しくなる

Global Entry Cardを申し込んで 半年待って、インタビューに行って来た。担当官は私の指紋の読み取りに手間取り何度もやりなおす。読み取り機の緑のプレートにフィルムを押し当てて前の指紋を拭って「はい、もう一度。60%だ、、、」とか呟いている。くっきりと写っていないのだろう。 ハンドローションのボトルを持ってきて、指につけてから読み取り機に4本の指を並べて置くように言った。その通りにやると、今度は指を墨に浸したみたいに全体が黒くなって、指紋が浮き上がらなかったらしい。 「難しいんですね〜」と言うと、 「朝は指が乾いているんで読み取り難いんですよ。それでローションで試したんですけどね、ほら、車のタイヤのスレッドがあるでしよ、古くなってくると擦り減ってきちゃうでしょ、指紋もおんなじ」 「そうか、なるほどなあ。あと、10年もすると、私の指からは指紋が消えてつるつるになっているかもしれない」 「何か手を使う仕事をしている?」 「キーボードを叩くけど」 マウスの替わりに指で擦るし、スマホやiPad, Kindleも指を使うし、右の人差し指は10年も持たずに、スレッド(指紋)が無くなってしまうかもしれない。この読み取り機の開発が始まった頃には、まだスマホやパッド類が存在しなかったのではないか。ヘビーユーザーの今の若者たちは年取る前に指紋が薄くなってしまうかもしれない。 認証ディバイスを開発する人たちは、気に留めておいた方がいいのではないか。 7、8回試してからOKが出た。その後、入国審査のロビーに置いてあるキオスクに連れて行かれて使い方の説明を受けた。オースティンもロンドンやカンクーンに直行便がある、一応国際空港だ。できたての国際入国ロビーを一緒に歩きながら、礼儀正しい熊みたいな大きな担当官は 「ちゃんと、自分でできるのを確認したから、帰っていいですよ」と、言ってドアを開けてくれた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー Facial Recognitionの今 2021年12月 ロンドンから直行便でオースティン着 2022年3月ドイツ・ミュンヘンから直行便でシカゴ着 いずれの場合もグローバルエントリーのキオスクに行き、スクリーンに向かって顔を向けるだけで、個人情報が即刻プリントアウトされて、ものの5分で入国手続きを済ま

不必要なサービスやメンバーシップを見直す

年の初めにメンバーシップやサービスの見直しをした。 会社を初めてからデイヴは様々な技術系の業界グループやネットワークを広げるためのグループの会員になった。その中にはワイン愛好会みたいなモノもあったし、石油掘削技術関係、全米外国語教師会などもあった。長い事メンバーになっている、ハードコアの業界団体のIEEEやオートエンジニアリングに加えて、他の領域の様子も探ろうとしたのだ。 また、沢山のIT関連のサービスもサインアップした。3年が過ぎて、実際、それらが役に立っているかどうかを確認して要らないサービスを切ることにした。 ワイン愛好会の会員はとっくにキャンセルした、というか会費を払わずに自然消滅させた。今は直接関係していない外国語教師会は、ビジネスとは関係なく関係を絶ちたくないという本人の希望でそのまま。 ウェブホスティングや、キャッシングをサポートするサービス、その他諸々のサービスに毎月10〜60ドル程度を払い続けている。一旦、契約すると忘れてしまうようなモノばかりだ。 スモールビジネスではそうしたものが積もり積もると馬鹿にならない額に達する。施設・福利厚生・一切合切マネジャーの私は郵便配達のスタンプ・コムを切ることにした。 ビジネスを始めた頃には実際に製品をウェブストアで売ったり、郵送していたので、スタンプ・コムは必要だったのだ。が、ビジネスをシフトさせて消費者は対象にしなくなったので、最早使うことはなくなった。 解約して残りのお金を払い戻してもらうには、(よく訓練された)強者の担当者にしぶとく対抗する必要があった。しかし、偉いと思ったのは: 電話に出て、「〜の場合には何番を押せ」という振り分けの中に、解約を入れている できるだけ解約させない、残っているお金を簡単に払い戻さない努力をしているが、感じよく説得している しぶとく払い戻しまでこぎつけると、トランズアクションナンバーをよこして、直後にメールによる詳細な説明を送ってきた。 この種のサービスは一旦契約をしたら、プロバイダーは顧客に契約した事自体を忘れてもらいたい、と思っている。毎月、静かにクレジットカードから忘れてしまえるような額のお金を引き落としたいと考えている。たいてい、10~20ドル程度。 「当初は便利だったのですが、今はビジネスの方向を変えたので、使わ

シンガポール、2年半ぶりにインターンと会った

2年前の夏、私たちが会社を立ちあげた時、 インターンとして働いてくれた若い女性 と年末28日に食事をした。 彼女はシンガポールのエリート大学、NUS(National University of Singapore)を卒業後は大手の銀行でアナリストをして、つい最近、別のアメリカの銀行に移ったばかりだ。「コードを書きたいので、それができる職場に移った」と説明した。そして、働きながらコンピューターサイエンスの中でもファイナンスに特化して修士を取るつもりだとプランを話した。 たったの2ヶ月か、そこいら一緒に働いて遠くに帰って行った人が忘れずにいて、連絡をしてくれたのは真に嬉しかった。 「ご馳走します」と言ってくれたけれど、それはデイヴに任せて、彼女にはClarke Quayの北海道アイスクリームをご馳走してもらった。