アメリカの若者は本を読まないのだと思っていた。昨今は大学の多くが図書館のスペースを減らして、メディアルームに変え、そこで学生は居眠りをしたりしている。 考えたことや意見は顔を突き合わせて話し合わずに、ソーシャルメデイァ一で発信し合うのだと思っていた。それが、つい2,3日前に、 「今度のブッククラブ(読書会)はオスカー・ワイルドをやる」と24歳の長男が言った。 それを聞いて、椅子から落ちそうになった、というのはオーバーだが、とにかく驚いた。 彼はある意味、今のアメリカの英語教育の犠牲者かもしれない。特に高校では本を深く読む楽しみ方は脇に置いて、作品の解読を素早くできるようにトレーニングしている(ように思える)。生物のクラスのように、登場人物の性格や関係を解剖して、それをまとめる宿題を出されたりするうちに、本を読む=苦行と感じられる若者がいても不思議ではない。それを上手にできる学生、また、上手に教えられる先生も沢山おられたけれども、彼の場合は生憎そうではなかった。 教科書、本、新聞、雑誌などを開くことは稀で、殆どの情報はインターネットから収集しているようだった。「本を読んだら?」などという時期はとっくに過ぎて、余計なお節介。大方の若者がそうであれば、彼もその世代の一人なのだ、と理解していた。 それが、どこでどうなったか、読書会に参加しているらしい。オスカー・ワイルドの次はハックスリーの「素晴らしい新世界」"Brave New World"を読むのだと言う。この本も高校の読書リストに入っていた筈。「やだなー、つまんねなー」と、その頃は思っていたに違いない。どんな仲間と読書会をしているのか分からないけれども、きっとどのメンバーも宿題のプレッシャーがなくて、単に楽しみのための読み物としてページを開いたら、面白くて、大変な発見をしたのかもしれない。 読書会の間、スマホはどうしているのだろうか。ポケットの中で、珍しく一人で暗く眠っているのだろうか。
Texas Hirame at Asatte Press Inc, Austin,Texas