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4月, 2014の投稿を表示しています

リセットDNA - 蛙の面に小便(ションベン)

起業を目指す人の学校、起業家精神を養う講座などがあると聞く。学校に行ってビジネスのやり方は勉強できても、精神を養って自分のモノとするのは、内向的な人が社交術講座を受けて社交のイロハは会得できても、性格そのものを外向的に変えることができないのと同じくらい難しいのではないだろうか。基本的に失敗(金銭的損失)を屁とも思わず続けられる性格でないと身が持たないと思う。 私たちは退職金を取り崩して会社を始めたのだが、そうそう計算通りに行かず、売れる筈の作ったモノが売れなかった。そして、次から次に試したものも経験としては有意義だったけれども、お金に結びつかず、3年目くらいから余裕が無くなってきた。特にこの私が。 「誰か知り合いで頼める人はいないの? ネットワークはどうなっているの?」と、黙々と本を書いているデイヴを私は挑発した。 様々な失敗、判断ミスを絶対ミスだとは思わず、その度に、 「勉強になった」 と言うデイヴにいらついた事もある。 新たな土地で人生をリセットをする為にヨーロッパから移住して来た民族のDNAがそうさせるのか、人一倍自信を持っているみたいだ。時々恐ろしくKYになって損をするが、それも私にチクチクと指摘されるまで分からない。私たちの場合は人のお金を使わなかった(この先はあるかもしれない)けれども、人から預かったお金を失う事を恐れて反省ばかりする人はファンディングを受けて起業するのは止した方がいいと思う。 日本人は「他人に迷惑をかけない」を小さい時から骨の髄までたたき込まれていて、目上の人、権威に従う事も是とされている。また、例え小さな事でも、自分がやり遂げたことを振り返って「よくやった」と自分を励まし続けるより、「何でダメだったんだろう、何が悪かったのかな」と上手く行かなかった部分を静かに反省するよう長い間、仕込まれてきた。これは日本人の強さである改善を行うにあたって必要な資質であり、刷り込まれたDNAだ。が、これは既に確立されたシステムや工業製品を扱うには正しい態度かもしれないが、初期の何がなんだか分からない、霧の中をもがいている時には適当な資質ではないと思う。自分を鞭打って自分の能力を疑っても誰も助けてくれない。 日本人である私は左の三毛ほど反省しないが、 「やっぱ、あの時にはこうした方が良かった、、、イジイジ」としてしまう事が

20年続けた商売をひっそり閉じたケース

The Hardware Store「金具や」という名前で店を出していた近所の店に良く行った。 Home Depot, Lowe's と言った大型店と違って、ペイントブラシ, ネジ, ニスなど、何処にあるか知っていた。分かりきった小さなモノを買うにはとても便利で家を持っていた時には毎週のように通っていた。車を止めて大きな駐車場を歩く必要がなかったし、それに、顔見知りの店員がいて、何かを聞けば、教えてくれる気安さがあった。 それが、この3月一杯で閉じてしまった。買うものは特になかったのだが、店の中に入ると、工具やネジなどの棚は黄色い"Sold"のテープで囲われていて、触れられないようにしてあった。 ずっとオーナーだと思っていたオジさんは実は店員だということが、この日分かった。 「やめちゃうのね、オースティンに住んでからずっと来ていたんだ。淋しい」と言うと、オジさんは 「オーナーは、ここ数年、誰か買手を探していたけど、誰も見つからなかったんだ。4月から10年のリース更新をするわけにいかなくて、それで閉めることになった」と説明した。 きっとビジネスを始めた頃には、将来は店を大きくして、それを誰かに売ってリタイアしよう、と考えていたに違いない。確かに、私たちが引っ越してきた90年代から、10年間くらいは、地域の住宅建設が盛んでいいビジネスになっていた筈だ。ところが、大型店が進出してくるわ、店内をリモデルする資金がなかったか、80年、90年代のままにしていたら、若い人たちは全く寄り付かなくなった。それに、店の規模の割には沢山の店員が働いていた。恐らく、家族総出でやっていたのではないだろうか。 ある数の固定客がいて、ある程度の収入が毎月あったとしても、伸びて行かない限り衰退して行くというのは当たっている。「良い時代」のままでいると萎んでいってしまうのは、個人商店に限らず、大規模企業にも見られる。 表玄関に掲げてある店の名前の"R"が抜ける前に何かをすべきだった。肝に銘じておきたい。

Off the charts(ぶっちぎり)で伸び続けない場合はStartupではないらしい

セレブVC、Y Combinator創始者 Paul Grahamのブログ を読んだら、今の私たちはスタートアップしたとは言えないのだと分かった。彼によると、 自分で会社や事業を始めたり、レストランを開く人は黄河の砂ほどもある(とは彼は行っていないけれど沢山)。けれども、その殆どがスタートアップではない。何故なら、スタートアップは:急成長が必要。 急成長を望めるものは:大きなマーケットで、誰もが欲しがるモノを作って、それを隅々まで浸透させて売る。な〜んだ、当たり前じゃん、と言われそうだが、毎月着実にお客がいて収入が入ってきても、急成長を遂げない限りはスタートアップとは言えない、のだそうだ。 Startup needs to grow fast  私とデイヴが3年前に始めた会社は出版からスタートして鳴かず飛ばずで今はデイヴのコンサルティングが主なビジネスになっている。これはスケーラビリティーの観点からすれば、大きな美容院で雇われてヘアカットをしていた人が自分の店を持ったのとあまり変わりがない。 一人で3人、4人を一度にヘアカットをして顧客数を拡大できないように、コンサルティングも一対一の顧客対応なので、顧客拡大を急速にするのは不可能だ。Paul Grahamの都合のいい計算によると、始めたばかりの会社で月の収入が仮に1000ドルとする。毎週1%の伸び率だと、4年後には毎月7900ドル程度の収入で、シリコンバレーのエンジニアの給料とどっこいどっこい。ところが、毎週5%ずつ伸びて行くと、4年後には毎月2500万ドル入ってくる。というわけで、Y Combinatorでは毎週の成長率が5〜7%がgood, 10% はwow!と成長率を区切っていて、それを基に投資すべきかどうかを判断しているらしい。 しかし、多くの会社が「利用者数」を毎週、わけのわからない方法で伸ばすのは可能かもしれないけれど、収入をこのペースで伸ばすと言う会社が、ことに若い会社がそう豪語していたら大方「嘘」ではないだろうか。収入と同じか、それ以上のお金を使って数合わせをしているのではないだろうか。あのFacebookやTwitterだって、「どうやって儲けを出すんだ?」とずっと言われてきた。 神様みたいに若いテッキーに崇められているY Combinatorも投資して 成功するのは

10000 Hours - 石の上にも3年

10000 Hours Patience 2011年4月にデイヴがIBMを辞めて3年が過ぎた。その頃の心境、3年経った今の心境を彼は Stepping off the Cliffで述懐している 。 最も大きなポイントは自分の仕事、会社や生き方を自分でコントロールできるという事だ。安定した生活とは言い難いとしても、自分で舵取りできると言うのは精神的に健康だというわけだ。 パーソナルブランドを持てるという事も大きな変化だと言う。今は油田開発のための大規模オイルリグ建設の会社でコンサルタントをしているが、その為のソフト開発のコンファレンスに参加したいとなれば、簡単に決められるのだ。私以外の誰かに許可を得る必要もない。ほぼ即刻の決断が下せる。 明日からイギリスのケンブリッジで開かれるコンファレンスでスピーチをするために出かけて行くのだが、IBMに居続けたなら、おそらくコンファレンスに行く事もスピーチすることも無理だっただろう。そういう予算を持っている部署に行く事はIPセールスをしていた3年前には不可能だったし、IBMという名前を出して、そうできる人はほんの一握りの人間に限られていた筈だ。今でもそうだと思う。彼がコードジェネレーションコンファレンスで個人のアイディアを披露することができるのは、新たに進出した分野の体験をベースにできるからで、そういう場所に集まる人々との新たな交流が期待できる。 4週間シンガポールで働いて、4週間オフになるので、そのオフの間に本(e-book)を書いたり、ソフト関連の仕事を展開して行こうと計画している。 ここに至るまでは計算違い、失敗の連続で、きっちり3年はかかった。例の10000時間ルール、昔から言われている「石の上にも3年」が納得できた。一日9時間くらい、3年休み無く無我夢中で働き続けると10960時間になる。 私も主婦から離れて10000時間をオフィスで過ごしたら、家に居る人ではなくなって、見よう見まね(OJT)でブックキーピング、マーケティング、翻訳、施設、一切合切をやる総務担当になった。 しかし、この状態のままでは私たちは起業をしたのではなく、「ブランドチェンジ」をしただけに過ぎないと、有名なVC、Y Combinatorのブログで知った。

Sony Baioの修理は期待以上に早かった

2月の終わりにSonyの修理センターに送って、受け取りも、修理が終わった、送り返したも何の連絡もなかった。が、3月初めにアパートの受付に預けられていて、私がピックアップした段ボールは、その修理が終わって送り返されて来たものだった。 デイヴがシンガポールから帰って来て、箱を開けてみたらSonyからだった。修理センターで、Window7を搭載し直してくれたのは有り難いと、デイヴは言った。これを暫くはレノボのバックアップとして使うらしい。