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海外で子供を日本語で育てて25年


うん、私もSkype出来てうれしかった。今週末は一人でフェアルですごすからまたチャットしようね
今フェアル行きのICEで二席まえに可愛い日本人おじいちゃんが座っています。乗ってすぐ私に「スキューズミ。ジス トレンイズゴイン ツーフランクフルト?」 って聞いたよ。ほかのひとには彼のすわりたい席がよやくされていないか。今は野球帽をぬいで、上半身を真っ直ぐにしながらちょっと昼寝。多分歳おじちゃんたちと一緒ぐらいかな。
Love,
えいか
On 5/7/12, えりちゃん、
土曜日、Skypeできて良かった! 元気な顔が見られたので安心しました。昨日の電話のことは心配しないでね、忙しいのだろうと思っていました。
仕事を探すのは大変なことでしょうが、体に気を付けながら頑張ってください(頑張り過ぎないようにね)。それではまた、近いうちにね。
Love,
ママ
海外で子供ができると日本語に夢中になると、2月に書いたけれども、子供3人を夢中で日本語で育て始めて四半世紀近く経った。彼らは皆、それぞれ状況は異なるけれども、日本語を体に沁みこませて成人した。その過程で「自分の依って立つ文化、バックボーンは何なのか」と大いに悩んだこともあるのだろうけれども、日本文化を西洋文化と同居させて自分を大きくしていった。結果、どこの文化に対しても寛大な見方ができるような人になったと思う。

そこは有難いことに、日本文化が世界的に受け入れられ、誇れるものであったことが大きい。また、人が丁寧で穏やかな暮らし方をしている、そういう素晴らしい人たちと自分が繋がっているのだと感じられたこともあると思う。

ドイツにいる長女とは電話、メール、Skype、全て日本語でやり取りをする。ここにデイヴや彼女の弟たちが加わると英語に切り替わるが、私が話の中心に来ると再び日本語に変わる。デイヴもゴルフの代わりに日本語を趣味(?)にするくらいの人なので、全く問題はない。そこにドイツ人の友達が加わるとドイツ語に切り替え、そのスピードはコンピューターも及ばないかもしれない。

弟二人は子供の時には迷惑顔で日本語をやっていた(やらされていた)が、ここに来て自分で勉強をするようになった。長男は大学のレールからちょっと外れてしまったが、日本語が学校に戻るきっかけを与えてくれたと思う。来週から二週間の予定で、日本に修学旅行にでかける。Study Abroadと普通は言うのだろうが、日本語の先生が組み立ててくれたスケジュールは奇跡的だ。ジブリ美術館、大相撲観戦、日光、メイドカフェ、鎌倉、大江戸温泉、それに先生の講義も入って盛りだくさん。私だってくっ付いて行きたいくらいだ。次男はこの秋から大阪の大学に留学をすることになっている。これは大学(USNA)がスポンサーで、しっかりと日本語と文化を勉強してこい、ということらしい。三人それぞれの展開がこのようになるとは予想していなかった。嬉しい。








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