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金曜日にネクタイをして出社した若者たち

「金曜日にインターンの写真を撮って会社のWebsiteに載せます」とPR担当者がメッセージをホワイトボードに書いたのは、水曜日だったと思う。

金曜日の朝、ちょっと驚いた。ジョナサンはツイードのジャケットを着てクールに(オースティンは既に真夏のように暑い)現れた。ジェイソンはうす水色の長そでシャツに黒いスラックス、それに黄色のネクタイをしてきた。

建築を卒業したばかりで、去年は上海でインターンをしていたポールは、黒いタイトなスラックス、黒い、つま先が四角っぽい靴、それに黒いネクタイ姿でちょっと遅れてドアを開けた。
「クールにGQスタイルじゃない」と言うと、
「上海にいた時に買ったから、こんな風になった。アジアではみんなタイトな服装をしている」と応えた。
もう一人の建築専攻のニックはポロのストライプのシャツに黒いズボンで、ポールのようにシャープなGQスタイルではないが、ベージュ色のジャケットを持ってきた。一人だけ、年上のネイサンがポロシャツ姿だった。

社長のデイヴはこのところずっとスラックス、サスペンダー、白いシャツにネクタイ姿で働いている。こんな服装は今時、銀行、保険会社、弁護士事務所でしか見られないのではないだろうか。ハイテク業界のエグゼクティブのユニホームはジーンズ、水色か白のシャツ(ネクタイ無し)、それに濃紺のブレザー(スポーツコート)だ。デイヴも会社を’辞める直前はこんな服装をしていた。そして、そのずーっと前、東京に転勤していた時にはグレーや濃紺のスーツを着ていた。

同じハイテク会社でも、サラリーマンではなくて、つい最近IPOを果たして大金持ちになったFacebookのCEOはそんなアップタイトな服装をする必要がない。ペタペタ、サンダル履きでもスエットシャツでも裸足でもなんでもござれだ。社員もジーンズにただで貰ってきたTシャツ、大学の名前の入ったスエットシャツなどを着て、「僕らには着るものよりも、大切なことがある」という行動が普通とされているのではないだろうか、推測だけれど。「早く大人になれ」と、ズッカバーグのことを批判する人もいるが、その服装はAppleの創始者のトレードマーク、ジーンズに黒いタートルネック姿のように、強い自己主張と計算があるからだろうと思われる。賢い彼は、知っている。日本の首相官邸に挨拶に行った時にはちゃんと黒っぽいスーツを着ていたし。

何かの拍子でデイヴ偉くなったとしても、タートルネックを’着るのはちょっと無理かと思われる。ネックが短か過ぎる。今の段階でデイヴがサスペンダーとシャツ、ネクタイという服装によって自己主張するのは「俺はチーフで、君たちの友達ではない」だ。

月曜日から木曜日まで、その恰好で出社して金曜日にジーンズとネクタイ無しの白いシャツを着て行ったら、インターンたちはネクタイ姿で現れた。写真撮影のためだと思うが、彼らは服装の相談をしたかもしれない。
「ネクタイしてきてくださいね」じゃなくて、
「何着る?」
「どうしよか」
「ネクタイしよか?」「俺、スーツ着る」というようなやり取りがあったとしたら、カジュアルなコミュニケーションが取れているということだ。
これに対して女子組はドレス、スラックス、ブラウス、タイトジーンズなど様々だった。

ちなみに「黒い就活ファッションはどうにかならないものか」などと、2月のあたりにぼやいていた私自身が、今は黒、グレー系の服を着て会社に行く。色物のベルト、スカーフ、ネックレスなどをするけれども、パステルカラーや明るい色の服は着ない。Tシャツも着ない。「シリアスはおっかない総務のおばさん+変人+グラフィイク担当」を装っている。

ミュンヘンにいるエリカと今朝Skypeをしたら、昨日のブログを読んだらしく、「Birchboxは身ぎれいにしなさいというメッセージじゃないわよ。スタートアップで、化粧品なんか、ちょっと楽しいきれいなものを買うお金がないと思ったの」と、説明した。彼女は私より何十倍も気の付く優しい人なのだ。ありがとう。






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